アマネム(amanemu)だけに限らず、伊勢志摩方面に来ると、御食国という言葉を見ることが増えます。
日本人に生まれていても、神事などに遠い生活をしていると、このような言葉の意味なども知らないままでいることも多いかと思います。
せっかくアマネム(amanemu)がこのような文化を取り上げてプレゼンをしてくれているのですから、受け取るこちらも正しい知識を持っておいしくいただくほうがいいのかな、と思いまして、豆知識コーナーを作ってみました。
御食国 Miketsukuni
御食国(みけつくに)とは、日本古代から平安時代まで、贄(にえ)の貢進国=すなわち皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだと推定される国を指す言葉です。
律令制のもと租・庸・調の税が各国に課せらていましたが、これとは別に贄の納付が定められていたと考えられています。『万葉集』にある郷土礼讃の歌に散見されており、『延喜式』の贄の貢進国の記述や、平城京跡から出土した木簡(木で出来たメモ帳)の記述などから、若狭国・志摩国・淡路国などへの該当が推定されています。
若狭は福井、志摩国は三重、淡路国は兵庫のこと。
志摩国である三重は何を納めていたか?
『延喜式』によると、志摩国は10日毎に「鮮鰒(なまのあわび)、さざえ、蒸鰒(むしあわび)」を納めることが定められていたようです。
また節日ごとに「雑鮮の味物」の献上も定められていました。
平城京跡から発見された木簡に「志摩国志摩郡」の表記があり、当初は志摩国は一国一郡であったということがわかっています。
その後の『延喜式』では答志郡(鳥羽市)、英虞郡(志摩市)の二郡のみ。
田畑はわずかで、口分田として尾張国、伊勢国にあった田が志摩国に割当てられていたようです。平城京の木簡からは志摩国の贄を納めた氏族として大伴部の名前が多く見つかっています。
現在では当然、このような慣習はない……というか、必要がないのですが、かつて御食国だった地域では、「御食国」という言葉を一種のブランドとして観光振興用に使っています。
2006年10月6日には、「御食国」の歴史を持つ以下の6つの自治体が集まり、「御食国サミット」の初会合が開かれました。参加国?は以下の通り。
- 小浜市(福井県)
- 伊勢市(三重県)
- 鳥羽市(三重県)
- 志摩市(三重県)
- 南伊勢町(三重県)
- 洲本市(兵庫県)
すべての国を紹介するのは大変なので、今回は伊勢市の御食国の食材を少し話します。伊勢の食材
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